« 北円堂の秘密・その1(大町阿礼・作) | トップページ | 北円堂の秘密・その3(大町阿礼・作) »

2017年6月29日 (木)

北円堂の秘密・その2(大町阿礼・作)

歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密(大町阿礼おおまちあれい・作)

不許複製(コピー不可)、小説の内容はフィクションです。

京介自身の専門である理学部の物理学の世界においては旧帝大に残ったり国の研究機関に勤めるしか自身の育んできた科学的真理の探究心を満足させることは出来ない時代となっていた。湯川博士のノーベル賞の頃のように紙と鉛筆だけでは何も発見出来はしない。さらには京介のように地方大学に追いやられた身にしてみれば出身大学に戻れる当てはほぼ無くなりかけていた。このままこの古都大学で同じ研究室の老教授が退官されれば跡を継いでそれで大学教授となり、目ざとい研究も出来そうにないと思っていた。まあ数学なら古都大学にも昔高名な先生が居られたそうであるが、紙と鉛筆で考えることが出来るので世界的研究も可能だろうけれど、そこまでの天才肌は京介にある訳もなく、京介自身よく自分のことを分かっていた。

暇を持て余した訳でもないが急に思い立って史美のところに行こうとしたのは朝の電車で史美の後姿を発見し追いつこうとしたが振り切られた形となっていたこともある。何だかいつもの史美とは違って朝から大層忙しそうに大学の構内に入って理学部より近い文学部の歴史学教室にあたふたと滑り込んでしまった。そのまま後を追いかけようかと思ったのであるが京介自身の理学部の准教授室でサイフォンコーヒーでもまず飲むことにしたのである。京介は無類のコーヒー好きでもあったので史美の出してくれるインスタントコーヒーには少し閉口することが実は多かったのである。勿論、人の好意を受けられない京介ではないのでそのような時にいやな顔一つしたわけではないのだが。

自分でいれたコーヒーを味わいながら昨日放っておいた郵便物に目を通した。所属している学会からの定期購読雑誌や論文投稿案内、それに海外での国際学会への参加のお知らせの類ばかりである。助手の時代、准教授になる前なら年間の投稿論文を自分にノルマとして課して今よりは少しは柔らかかった頭を駆使して教授の集めてきたデータを元にして論文製造機械のような毎日を送っていたこともある。それも何年続いたことだろうか。10年前に在籍していたその旧帝大に属する大学の講座を担当する教授に呼び出されて今の古都大学の准教授に行ってみないかねと云われた。てっきり残って講座の准教授となりその教授の後釜になれるものと思っていたので何年その地方大学へ行けばよろしいかと教授の顔をながめると教授曰く「君もそろそろいい年だから結婚もしなくちゃいけないだろうし古都大学准教授なら生活も一応贅沢はできんが二人で暮らせるようになる。いい話だと思うがね。」とのこと。数日考えさせて下さいとは云ったものの結局アパートに帰って頭を冷やして考えてみると自分より3年後輩の助手が教授のお気に入りとなったようで、どうやら自分はお払い箱の定めであることが分かった。飲めない酒を食らって未だ酔いの残る目つきで翌日教授に「先のお話お受け致します。」と回答したのだった。教授は相好を崩して「良かった、良かった。」と喜んでくれた。私の物理学界における将来性を心配されてのことであったのか、それとも出来の悪い助手を追い出して出来の良い助手と入替えられることを「ご自分にとって良かった」と云っておられるのか判然としなかったがともかく私はこの古都大学に来て丁度10年になるわけで、まあ水が合っていたのかどうか、万年准教授のままではあるがぬるま湯の中で物理学界としてはもう古くなった紙と鉛筆の世界で論考をひねっている。

途中のコンビニで買ってきたパンも食べ終わりコーヒー茶碗を小さな流しのボールの水に浸けてしまうと、途端にすることが無くなってしまった。旧帝大の教授は朝来ると直ぐに助手を呼びつけて仕事を云い付けるのが常であったが、古都大学では准教授になったからだろうか知らないが同じ教室の教授に呼び出されることはほとんどなかった。何かにつけ勝手に私の時間を刻むことが出来た。学生を教える講義の時間と単位を与えるための年2回の試験と卒業研究の指導というようなありふれた定型作業をすることは京介には簡単なことであった。旧帝大ほど質問攻めにしてくる学生もいないしその意味では毎日が刺激のない日々として漫然と過ぎてゆくのであった。入学試験の終った春休みのこの頃は本当に退屈なのであった。

紙と鉛筆で物理学の世界に立ち向かうことの無力さを思い知ってきていた京介であるが、退屈の虫が騒ぐと困るのであった。何かくるくると回転して問題を求めて探し回る京介自身の脳みそに何かテーマを与えてやる必要があった。それもあたりさわりのない何か人畜無害のテーマを。理学の分野と違って人文分野のテーマは京介からみると、とても曖昧で勝手でまあ一言で云えば科学的でないように思われた。その専門分野の大御所が声を大きくすれば皆だまり込んでしまうような非科学的な世界のように思われた。だがしかし、門外漢からすると評論しやすく発言しやすいテーマであり解決したところで新しいその知見が新産業を生み出すなんてことは全く有り得なかった。誰に迷惑を掛けるでもなく興味さえあれば「ああでもない、こうでもない」と想念を巡らすことが出来た。

しかし史美にとっては歴史学は一応「めしのタネ」であり、おろそかには出来ないのであり、史美の将来人生がまさに秤に掛けられているのであった。

「上津先生、頂き物の上等のインスタントコーヒーがあるので用意いたしますね。」といつもとは言葉もていねいであり、何かを企んでいそうであった。

« 北円堂の秘密・その1(大町阿礼・作) | トップページ | 北円堂の秘密・その3(大町阿礼・作) »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/605040/65477151

この記事へのトラックバック一覧です: 北円堂の秘密・その2(大町阿礼・作):

« 北円堂の秘密・その1(大町阿礼・作) | トップページ | 北円堂の秘密・その3(大町阿礼・作) »