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2017年6月30日 (金)

北円堂の秘密・その3(大町阿礼・作)

歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密(大町阿礼おおまちあれい・作)

不許複製(コピー不可)、小説の内容はフィクションです。

京介は入口のソファに腰掛けると、前のテーブルにも専門書が何冊か積み上げられていた。何だかいつもの史美にはないピリピリした空気が感じられた。テーブルの本を何冊か避けたところにポットの湯を注いだコーヒーカップを二つ持ってきて史美はテーブルの向いに座り込んだ。折角だから頂戴するかと先程自室で飲んだサイフォンコーヒーのことは忘れてインスタントコーヒーのカップに手を伸ばそうとすると史美が興奮した面持ちで話し出した。「私の別れた旦那が奈考研にいるのは知っているでしょう。」「今でも専門家として互いに尊敬し合っている部分はあるのよ。」「今、奈考研では興福寺の北円堂を発掘調査しているんです。トップシークレットなんですが、勿論報道にも洩らしてはいない大変なものが見付かったと云うのよ。」「ところがそれを実際のところどのように解釈してよいのか、奈考研では半年近く内部で検討を加えたらしいのですが、如何せん考古学分野の専門家が大半で文献史学的な力量のある人が少ないそうなんです。そこで、こっそりと奈考研にゆかりの深い大学に相談を持ち掛けて来たって訳なんです。もし古都大学の私がこの出土品の意味するところを解明できれば少なくとも私は上津先生と同じくこの古都大学の准教授にはしてもらえると思うの、私にとっては今春舞い込んだビッグチャンスなのよ。それで是非是非上津先生のお力をお借りしたいところだったのよ。今日、手がすいたら私から上津先生のお部屋へ伺おうと思った矢先だったのです。そしたら上津先生の方から来て頂きまして手間が省けましたわ。」

京介はだまって持ち上げたコーヒーカップを一口飲むとテーブルに置き、「それで具体的にはその問題はどういう代物なんだい。何か資料のコピーでもあるのですか。」史美は少し考えていたが、「上津先生これは絶対に口外してはならないこと、約束してね。」「奈考研の別れた夫の将来にも影響するのですから。」と強く云った。京介は「じゃそんなに大切なことなら、私は知りたくもないしそんなことは知らなかったことにして、コーヒーを頂いたら自室に帰ることにするよ。」すると史美は「ごめんなさい。京介さんを疑ったりして恥ずかしいんだけど、それ程、今回のテーマは私たち歴史学教室の者から見ると大きな意味があるように考えられるのよ。」「これをご覧になって下さい。」と史美は大事そうに何かの写真のコピーをテーブルの上に拡げた。それは表と裏との2面写真のようであり、丁度、墓誌の銅板であるかのように文字が刻まれていた。「当初、可なり錆びているので奈考研では判読は困難な部分が多くて出土品の文字情報への期待は余りしていなかったそうなんだけど、錆を少し落としてみると、僅かだけど、判読可能な文字列が浮かび上がってきたということなのよ。」「ところがその文字列の前後は不明であり、取りあえずその読み取れる文字だけを手掛かりに何か分かることを判読してもらえないかという相談なのよ。」「意外と簡明な文字のくせにこれが何を意味するのやら。」「にらめっこをここ数日していたということなのよ。」 京介は先程自室に帰ると云ったことはとっくに忘れて、その資料写真をのぞき込んだ。

「先帝 帝紀 旧辞 国記 ○○ 此地  秘  -----」と表面に彫られており、裏面には「  養老 ○四年○○八月○○日-----」とこちらは幾分明瞭に刻まれていた。京介はこの「養老48月 日」が何を意味しているのかなと考えた。それを史美に尋ねると「これは簡単に分かったのよ。続日本紀によると藤原不比等の薨去の日と云うことなのよ。だからこの銅板は不比等の墓誌あるいはその生涯を顕彰して作られたものということまでは考えられるのよ。」

「ところでこの銅板はどこで出土し発見されたんだ。」と京介は聞いた。「先程も云ったように別れた旦那の勤めている奈考研が現在興福寺の北円堂の境内を発掘調査しているんだけど、第2次大戦中、東向商店街の老舗の中華料理店さんが古都奈良の空襲に備えて近くの奈良公園の一角と云うことで当時は板塀もなかった興福寺北円堂の境内に防空壕を掘ったらしいのよ。今回の奈考研の発掘調査では防空壕の埋め戻されたところがやたらにあったそうだけど。防空壕を掘ったときの様子を東向商店街の古老に聞き込み調査をしたって云うの。そうしたらおそるおそると云うか一軒の老舗の中華飯店のご主人が亡くなった父の遺品の中に錆びた銅板があった。今でもあると思うと云って、店の蔵から持ち出してこられたのが写真のこれで、桐の箱に入れて大事に仕舞われていたそうです。そしてその桐箱の書付には昭和18年秋、北円堂の周りにて防空壕を掘った際に見付けしものと記していた。中華店のご主人は、考古趣味のあった父が戦時中のこととは言え秘蔵していて申し訳なかったと、錆びてそれでも肉厚のある可なり重い銅板を奈考研に寄託されることになったということです。奈考研では去年の夏にこの銅板を預かって暫く発掘調査に勤しんでいたそうですが、目ぼしいものは出土しなかったそうです。それで漸く錆び落としを始めたのが秋も深まった頃、文字の列の発見は年明けそして今となっているのです。」

京介は一つ気になって史美に尋ねた。「桐箱の書付には他に何か出土の際の様子などは書かれていなかったのかい。」すると「その書付のコピーもあるわ。」と脇から差し出してきた。その文面には「銅板を発見した後、防空壕をもっと深く掘ろうとしたところ大きな柱石のようなものに当ってそれ以上掘れなくなった。周りを掘って平面的広がりを確認すると石は岩盤のように平たくて大きくて北円堂の床下にまで続いているかのようであった。それで防空壕の位置をもっと北円堂から離れた興福寺の経堂跡の方に移して北円堂の境内の防空壕掘りは断念した。」と書かれていた。考古趣味のあった先代はさすがに北円堂は興福寺が一番大切にしてきた場所であったことを思い出したのかも知れないと、京介は根拠は無いが直感的にそう思った。

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