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2017年7月15日 (土)

北円堂の秘密・その18ending(大町阿礼・作)

歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密(大町阿礼おおまちあれい・作)

不許複製(コピー不可)、小説の内容はフィクションです。

京介は他にも尋ねたいことが山ほどあったが、衛士が立ち上がり、女官の口から“時間で御座りまする。”との声がし、不比等公の面前を辞さねばならなくなった。京介はあともっと何か聞かねばと叫び声にならない声を発したと思ったら、その途端に目が覚めてアパートの部屋の天井が見えた。昨晩遅くに帰って着替えるのも面倒でそのまま寝てしまった京介がベッドに寝転んでいるばかりであった。

少し正気になり枕元の目覚まし時計を見ると午前7時を指していた。6時半のベルの音にも気付かなかったことが分かった。京介は徐(おもむろ)に朝の身支度のためシャワーを浴びて下着を取り替え気分を少しすっきりさせて、1週間の猶予を呉れた史美への報告について思念を巡らした。“それにしても不思議な夢を見たものだ。”と京介は夢の割には細部を克明に覚えている程に印象の強かった体験を、きっと信じないだろうと思われる史美に話すことが躊躇(ためら)われるのではと思いつつ、それでも大層不思議に思った。

7 結びの章

古都大学の歴史学教室の講義室では今日も元気な史美が待ち構えていた。講義室の扉を開けるや否や、史美に“上津先生、今日は一週間ぶりですね。先生のご高説を期待しておりますわ。”と最初からトーンが異常に高かった。少し奇妙な感じがする程に感じた京介は史美に“この一週間の間に何か重要情報でもあったのかい。”と確認を入れた。すると史美は“分かりますか上津先生”と自分から話し始めた。その内容は意表を突かれるような事態とも云えた。

“元彼から電話があって、奈考研の秘密裏の取組み方針が決まったのよ。実は北円堂の発掘調査に関して発見した銅板については、公表しないと云うことになったそうなの。老舗中華店の先代さんが発見して秘匿していた物品でもあり迷惑が掛かっても大変だし、詳しく研究が煮詰まるまで奈考研の金庫に眠ることになるわね。”

京介はこの件を奈考研もそう簡単に解明出来ないでいることを当然のように思い、当面の策としては仕方が無いと思った。興福寺の北円堂を急に解体移築に移せるとは考えられないことであった。まあ予算の手当てから見ても可なりの年数が必要となるに違いないと思われた。また興福寺のお寺サイドの事情もあることだし、宮内庁管理の陵墓参考地のレベルに近い扱いとならざるを得ないのが興福寺北円堂の置かれている今日の歴史的重要性を帯びた八角円堂をなす北円堂の特異性であり、興福寺の残存建造物で一番のものとの認識は変わらない。京介は奈考研の事情で公表を差し控えると云うのであれば、京介の見た夢の話を史美に聞かせることに抵抗を感じる必要が無くなったと云う訳であり、何か安心しホッとした気分がした。それで京介は昨夜の夢の話を史美にすることにした。

“実は不思議な夢を見たんだけれど信じて貰えるだろうか。”

“そりゃ聴かせて貰わなきゃ始まらないことよ。上津先生。”と史美は理知的な京介が夢だなんて、と内心は思ったのだがそれは曖気(おくび)にも出さなかった。京介は意外にはっきりと覚えている夢を最初から、一つ一つ自身でも再度の興奮に包まれて話し始めた。

不思議なことに近鉄電車の奈良駅を転寝(うたたね)して乗り過ごすと、更に延線された奥の奈良公園の地下に県庁前駅があったこと、県庁に登庁する職員たちの服が奈良朝の唐服であると気付いて驚いていると、もっと驚くことに県庁舎が平城宮の大極殿に替わって聳(そび)えていたこと、築地塀の有る門の入口から覗いていると衛士が現れて中に案内すると云うので附いて行き、途中で女官と3人の道行となり、元明上皇や元正天皇、それに橘三千代に御目文字(おめもじ)をした。藤原不比等が薨去して政権の大臣を誰にするか悩んだが長屋王に決めたと、このことを藤原不比等はどう思うであろうかなと心配している。そちは黄泉路の藤原不比等殿にお会いされるとのことであるので、このことを伝えて貰いたいと元正女帝より頼まれた。黄泉路の辿(たど)り方は分からなかったが、直ぐに馬車が用意されて山階寺の藤原不比等の山荘に案内された。途中、佐保川の橋の袂(たもと)で藤原不比等が養老483日に牛車の中で卒(しゅっ)した幻影を見せられた。そして山階寺に建てられたとある殿舎の中で、将(まさ)に生きているかの藤原不比等公にお会いしたのだった。藤原不比等公は律令国家・日本の建国について熱く語って下さいました。勿論、北円堂の八角円堂のことについても尋ねると明瞭に語って下さいました。“北円堂の秘密”とは古事記や日本書紀を編纂するに際して、下敷きとした数々の往年の倭国の史書を焚書(ふんしょ)せず北円堂の地下に眠らせてあることだと云う。但しその秘匿してあるものを天日(てんぴ)の下(もと)に曝(さら)すならば藤原不比等公が記紀に込めた日本の建国の精神が瓦解するかも知れないが、その点については慎重にするがよいと釘を刺(さ)された。律令制度は入れ物・箱であり、仏造って魂入れずでは困るので記紀の編纂により日本精神を日本の魂として創りだし注入したのじゃ。北円堂を暴(あば)くことは日本の国が只(ただ)の箱に逆戻りしてしまうことになるのだが、それでも宜しいかと。だが藤原不比等公曰(いわ)く、1000年いや2000年の後に人間的成長を倭人がみせて、大陸の唐天竺にも負けないようになった暁(あかつき)には北円堂の地下の古い史書を取り出しわしの手品の素(もと)を白日に曝しても良かろうと。

京介の藤原不比等が乗り移ったような話し振りに史美も圧倒されて聴き入った。生来(せいらい)口の重い筈の京介の口が勝手に動いて、見た夢の内容を寸分違(たが)わず史美に話し続けた。史美はじっと聴き入り、終(しま)いには陶然(とうぜん)としたような気持ちになり史美自身も京介の見た夢を自分が見たかのように感じられる程であった。

不思議な事に京介が史美に似ていたと云う女官と、元彼に似ていた衛士の姿まで眼前に浮かんで来るかのように感じた。のめり込み易い性格の史美は藤原不比等が乗り移ったかのような京介をもう殆(ほとん)ど藤原不比等その人であるかのように見ていたのであった。

史美が自分を取り戻したのは、京介が夢を全て話し終えて史美を見ると、まるで微睡(まどろん)で居るかのように見えて、“僕の話を聴いてくれたのか。”と揺さ振り起こされて漸く史美は我に返ったのであった。

“上津先生のご覧になった夢は、私には本当のことのように感じられましたわ。いや藤原不比等公の霊が乗り移って真実を上津先生に伝えたのかも知れないと思うわ。”と史美は史学者の端くれにも拘(かか)わらず非科学的なことを口にした。夢を話した京介も実は夢が正夢(まさゆめ)であるかと思う程の強烈な印象を抱いており、史美以上に科学者らしからぬ気分を拭(ぬぐ)うことが出来ないでいた。暫く二人は黙(だま)り込んでいたが、やがて史美が口を開いた。

“日本の歴史学は未だ未だ考古学的な発見により発展する可能性が残されていると云うことだろうと思うわ。藤原不比等公の研究も未だこれからって気がしたわ。奈考研には例の銅板の他にも倉庫に眠っているお宝が有るかも知れないし、X線やCTスキャンを使って古いお宝の再調査もする必要がありそうね。彼に聞いたんだけど、発掘出土品には今のところ意味不明のものが沢山あって、奈考研では山積みになっているものもあるそうだから、その気になれば何かが切っ掛けとなって、驚く発見があるかも知れないってところかもね。上津先生の夢の話が夢でなくなる日もそう遠いことではないような気がするわ。それまで私は史学会活動に精を出すことにする決心を此処で誓(ちか)いたいと思います。今回のことに懲(こ)りずに上津先生、古代史学へのご協力宜しくお願いしますよ。”

京介は倭人と渡来人の子孫たちが営(いとな)んで来た日本と云う国を未来永劫(みらいえいごう)、続かせるお呪(まじな)いとして、古事記は内向きに日本書紀は外向きに書かれたものだと云うことを、夢を通して確信したのであった。然(しか)しその確信は、北円堂の地下が調査されて、夢の通りに古史書が発見されて初めて世間が認める処となるのだが、希望的観測であるようにも感じられた。

講義室を出て、史美と別れた京介は熱っぽい頭を冷やすべく古都奈良の街を散策した。ここ数日、外の景色に気付かなかった所為か急に突然といった具合に、其処彼処(そこかしこ)の桜が満開となっていた。(完)

-------この小説のモデルは架空であり、内容は真実とは異なります。------

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