« 北円堂の秘密・その4(大町阿礼・作) | トップページ | 北円堂の秘密・その6(大町阿礼・作) »

2017年7月 2日 (日)

北円堂の秘密・その5(大町阿礼・作)

歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密(大町阿礼おおまちあれい・作)

不許複製(コピー不可)、小説の内容はフィクションです。

彼が一頻(ひとしき)り喋(しゃべ)り終わると、おとなしくアイスクリームを食べているアヤちゃんの給仕をしながら今度は史美が「私だって銅板の文字列の意味を読み解ければ史学会にどうどうと発表出来るはずです。奈考研との共同研究としてね。」

「これまでは考古学会と史学会はあまり仲が良くなかったんだけど、今度はその仲を取り持つ重大な発見に繋がるかも知れないんですから。」

京介から見ると史美と彼は元夫婦というよりも共同研究者といった雰囲気が強くにおい立った。彼はまたこうも云った。「考古学を埋蔵文化財の発掘と云う地味で消極的で何も言葉を発信しない学問に終始させたくはないんです。是非とも文献史学にバトンタッチ出来る出土品を目指して発掘をもっと旺盛にやりたいんです。石器時代や縄文時代を扱う考古学では決してないんです。奈考研は飛鳥・白鳳・奈良時代の歴史的解明が発足時からの使命なんですから。」とまくし立てた。まあ、この文系の学問分野の人たちから距離を置く京介にとっては彼らのように生活いや人生を賭けての話ではないが、野次馬的興味は少しばかり蠢(うごめ)き出したのである。

アヤちゃんがアイスクリームの空の皿を突(つつ)いているので史美は「今日はこれでおしまい。ちょっと奈良公園のパパのお仕事のところへ行きましょうね。」とアヤちゃんの手をハンカチで拭(ぬぐ)って席を立つ用意をした。彼が先に立って支払いをし、京介は奢(おご)ってもらう形になった。コーヒー一杯でも恩は恩である。とにかく何か手伝わなきゃなと無言の何か圧力のようなものを感じた。

「北円堂はここから直ぐなんですが上津先生はご存じですよね。」「いや西国三十三所九番札所の興福寺南円堂はもちろん昔から知っているんですけど北円堂なるものがあるというのは史美さんからこの件を聞いて初(はじ)めて認識したところです。」「そうでしょうね。修学旅行の児童や生徒にしても興福寺という寺の名前さえ知らされずに猿沢池から五重塔を眺めて奈良公園に同化している興福寺はいつも砂煙をあげて行列で通過するところなんですね。止まったと思えば五重塔をバックに記念の集合写真を撮るだけでね。そして、奈良の修学旅行の思い出としては奈良公園の愛らしい鹿と大仏さんと大仏殿の柱くぐりだけが皆(みんな)の脳裏に不思議に克明に刻み込まれるのです。」「老人くさい線香のにおいのたなびく南円堂なんか子供は好きじゃないですしね。」と史美が彼の言葉を補って云った。「まして北円堂など知る訳がないということですか。」と京介は納得させられた。行基菩薩の噴水広場から東向商店街に入り南に50メートル程行くと左に商店街の小さな観光事務所があり東に向かって坂道が見える。観光ガイドではもっと東向商店街を南に突き抜けて三条通りに出て、興福寺の表玄関となる猿沢池の側から南円堂への石段を登ったり南大門跡への石段あるいは五十二段の石段を登って五重塔前に出るルートを推奨している。しかし今回は観光でもなく直接に北円堂に至る坂道を通ることになった。「この道はね、地元の観光ガイドさんの専売特許にちかくて中々趣のあるルートなんですよ。」「奈考研の発掘調査でバリケードが雰囲気を少し損なっているけれど、それでも抜群の景観を四季折々に楽しめる穴場なんです。」「鹿も良くここまでやって来ますしね。」あっと言う間に「奈考研発掘調査中」の札が掛けられているバリケードの前に立って彼は持参した鍵で出入りの扉をそっと押し開けた。「桜の木やイチョウの木が数本あったのですけれど発掘調査の邪魔になるので残念ですが切らせて貰いました。」

「北円堂は南円堂と同じ八角円堂であり、位置関係が南北に並んでいるため興福寺では南円堂、北円堂と呼び習わしてきた。北円堂は藤原不比等をお祀りする廟堂として不比等の一周忌に元明太上天皇と元正天皇が長屋王に命じて建立させたお堂であり、興福寺では創建者である藤原不比等ゆかりのお堂として一番大切にして来ており、春秋の特別開扉の時にしか内部を公開していない。幾度も火災や戦火に焼失したけれどその度に再建されており、現在では興福寺の堂宇の中では一番古く鎌倉時代からの築年を有している。」

彼の話を聞きながら発掘現場の掘り返したり、埋め戻したり、ブルーシートで覆(おお)ったりしている中を丁度一周する形で北円堂の回(まわ)りを歩いた。数点発見された瓦の欠片(かけら)は鑑定しているところだがそれ程重要なものではないらしく何度か火災を受けて焼け落ちたことが分かる程度らしいとのこと。発掘現場を見ても余り要領を得ない京介が彼について歩いていると彼がとあるブルーシートの前で立ち止まった。史美はと見るとアヤちゃんの手をぐっと握り締めてもうすでに身構えているような臨戦態勢であるように見えた。彼はブルーシートを押さえる石をとり、少しめくった。シートの下にベニヤ板があり、これは少し重そうであり、京介も手伝って横にずらした。そこには2メートル程掘り下げた穴が開いており底には10センチ程の水が溜まっていたが、先程の話に聞いた石室の天井石であるかの自然の岩盤ではなく表面を平たく削(けず)った石の表面が見えていた。「もう埋め戻したんですが、その先の数か所でも同じ石の表面が見えたので恐らく北円堂の直下まで達している大きな石造構造物がこの地下には眠っていると奈考研では睨(にら)んだ訳なんです。」と彼は云った。京介は思わず一つ質問をした。「じゃ東向商店街の老舗の中華店の先代が戦時中、防空壕掘りをしていて例の銅板を発見したというのはこの辺(あた)りだったわけですか。」彼は「防空壕で荒らされた掘り跡は簡単に確認できたので調べてみると他は2メートル下まで掘られていなくてどうやらこの地点で発見されたと奈考研は推論しています。」と答えた。

一方、史美は発掘現場については既に先刻承知のようでアヤちゃんと遊んでいた。

「これ以上見ていても何も分からないでしょう。石面に文字が刻まれているようでもないし。」と彼はベニヤ板を元に戻しにかかった。「ちょっと待って下さい。」と京介は質問したくなった。「この場所は北円堂の建物の南側ですが北円堂の境内の東西南北を同じように発掘調査したのですか。それで他3方向の東西と北方向でも2メートル程掘り下げると石室の天板のような巨大らしき礎石に突き当たるのですか。」彼は「おっしゃる通り北円堂を挟んで対角線方向の位置を掘り下げる調査はもちろん致しました。やはり同様の礎石にぶつかることを確認できたので恐らく北円堂は巨大な石造物の上に版築の土盛りをして石造物を隠した上で建立されていると考えたのです。」「中華店の先代の戦時中の防空壕掘りでも大層固い地盤だったそうで漸く2メートル掘れたと思ったら巨大な礎石にぶつかって仕舞って、東向商店街から一番近い奈良公園の一角と云う立地にある北円堂の境内は諦めてもっと奈良公園の奥の方に防空壕掘りの位置を変更したのだそうです。」「このように現在の中華店の主人が先代から聞いたことがあったそうです。」

「地下の巨大な石造構造物を発掘調査するにはこの国宝の北円堂に影響が及ぶ恐れがあり奈考研では今回の興福寺さんの堂宇再建計画の一つである北円堂の回廊復原工事に伴う埋蔵文化財発掘調査という仕事としてはひとまず終えなければならないと考えています。」

仕切り直してどう発掘調査に取り組むかは、現在の奈考研にとっては難題ではあるのです。元々奈考研は平城宮跡の全面発掘調査の仕事をずっと続けておりますが、終了するまでには人や予算の都合もありますが、後何十年も掛かると予想されています。従って平城京の外京に当る旧興福寺のあった奈良公園一帯の発掘調査となると何時になることやらと思われるのです。それでも世界遺産の指定を受けてからは寺社も発掘調査には前向きに協力の手を差し伸べて下さっており奈考研は幸いにして大忙しと云ったところなのです。でもこの北円堂の発掘調査は奈良が平安時代以降、南都と称されるようになる以前の古代の平城京そのものの外京の司(つかさど)っていた役割を解き明かしてくれるのではないかと、これは奈考研の所長が云うのです。それで今回の取り組みは所内でだけ鳩首審議するのでなく史学それも文献史学の俊英たちの意見を交えて取り組もうということになったのです。どうしても考古学者は土いじりをして暑さ寒さの中、しんぼう強く発掘活動はするのですが、それに体力を使いすぎて出土品が見付かってからの妄想たくましく文献史学に物申すと云うところまでの力量が不足していたと思われるのです。もうそろそろ日本でも、日本の古代の歴史の科学的解明が進んでも可笑しくないくらいに出土品自体は増えているのです。平城宮跡の出土木簡なんか地下の正倉院とも云われる程で読み取れる文字列は断片的ですがそれなりに意味の分かるものも出てきています。平城宮の直ぐ隣ですが「イトーヨーカドー」のあるところで長屋王の邸跡が判明したことは皆さんも良くご存じでしょう。ただ木簡は本当に断片的文字列に終始するものが多いのは事実でして今回の銅板の文字列がもう少しはっきりとして読めて解ければ相当な内容のことになるのではないかと期待されるのです。南田原で発見された太安万侶の墓誌など簡明な記述ではあるけれども大層重要な意味を持つ訳です。一昔前なら太安万侶は実在しなかったという学説までがまかり通っていたのですが、これなど墓誌の発見で吹っ飛んでしまいました。

彼の話を聞いているうちに、結構時間が流れたようで南円堂脇の鐘楼から午後五時の鐘の音が聞こえてきた。史美とアヤちゃん、それに彼は夕食を共にするとのことで、ご一緒に如何ですかと誘われたが別れた。家族の折角の水入らずを邪魔する訳にはいかなかった。このあと野暮用があると断(こと)わり、3人と別れた京介は一人興福寺境内を散策した。

« 北円堂の秘密・その4(大町阿礼・作) | トップページ | 北円堂の秘密・その6(大町阿礼・作) »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/605040/65490138

この記事へのトラックバック一覧です: 北円堂の秘密・その5(大町阿礼・作):

« 北円堂の秘密・その4(大町阿礼・作) | トップページ | 北円堂の秘密・その6(大町阿礼・作) »